神仏エネルギー・・・・・神様ご不在?

特にこのページは高血圧な方、神仏崇拝の方はご遠慮下さいませ。
苦情も受付ません、ご了解を願います。


私は昔から神仏系のエネルギーが苦手である。よく子供の頃、

お正月に近場スポットの平○神宮に引きずられるように半ば強制的に

連れられて行ったが・・やはり苦手だった・・・・・

教会なども、あの空間に入り、十字架やステンドグラスなどを見たら

グルグル目がまわり、よく吐き気をもよおしたものであった。

ああ、ウブだったのね(−−)

友人からはダミアンだとか悪魔だとか言われたりしたものだ。(笑)

何が苦手か・・・・清浄ぶっているがあの人を屈服させるような威圧的エネルギー、それミロ〜感じろ〜

と押し寄せ、絡め採ろうとしてくるあの重圧感のアル波動・・・崇め奉れという

共鳴の強制・・・契約めいたものも要求してクル

こちらも反抗的になってクル(笑)。

今でこそ、冷静に波動エネルギーの分析ができるが、

子供の頃は訳もわからずだだ縛られる様でイヤだった。


社寺、それぞれ宗派等でも波動は全然違う・・

しかし、共通して感じるのが「こうなのよ!さあイラッシャイ。叶えて欲しいんだろう」

といった一方通行な波動。

受ける側の都合はあまりおかまいなしにガンとやって来る・・・・

気にくわない・・(−−)

その神仏に傾倒しているヒトにとっては感情的にとてもアリガタイ、

涙モノの素晴らしいものなのかも知れないが・・

わたし的にはあまり推奨できナイ・・

くれたらあげるのギブテクを行うエネルギー、そしてコレハ他力本願な欲の念、

スパイラ的に自己波動は落っこちてゆく〜〜〜

またお寺さんとかで、乱立している仏像の類・・・・ご利益目当てに

人だかりも出来ているが、その類の像から発せられているエネルギーをミルと

オモシロイ。

1つは本当にそのモノ自体がご神体(象徴として)の存在となって

強くエネルギーを発しているものと、

ヒトの「念」が集まって固まった団子状態のエネルギーを発しているものとがある。

前者は先に語った屈服系、柔らかくカンジさせても結局、一方的で強引なモノ。

後者は波動の共鳴を促してくるが「念」の塊。

引きずりこもうとする・・・・オモシロイ・・(−−)

特に仏像とか、カタチとしてあるものにはババンとエネルギーが入りやすい。

でも感じないと、このエネルギー体に取り込まれてしまうヒトもいるな・・

思うツボって感じだ・・・

また、確かにあきらかに、「場」が違う、崇高なエネルギーを発する処もある。

しかし、それは元々その土地の磁場・波動であり「場」の持つ波動が

良い処に建造物が建っているトコロ。

ま〜、そういうエネルギーを取り込み利用しようと、意図的にやっている。

中には折角、素晴らしい氣場なのにこの神社のせいで

エネルギーが変容しちゃってるよっ。

なんて場もアル。



結界の類い・・・・・

神社の鳥居というものも感じられる方は多いとオモウが結界の類いだと感じる。

邪気を入れない目的なのであろうが、土地の氣が時間と共に荒れてきていたり、

土地の氣と仲良く出来ていないと全然役目を果たせない。

逆に氣の流れが止まって淀んでいるよ・・・・・と

そんな感じがするトコロは「意味ないじゃん」と思わず言ってしまう。(−−)

いや、害カナ?(爆)

お寺さんも結構凝っているトコロもアル。

境内を歩いているといきなり波動が「おやっ?」カワルところがある。

これもお寺さんによって結界の波動も全然チガウ。

フワと来たりボワっと来たり地面に引っ張られる感じがしたり、

宙に浮き上がる感じがしたり・・ビリっと感じるトコロも中にはアル。。生意気(−−)

結界の張り方も、色々と御事情がおありなご様子で

マニアックな手法のトコロもあるヨウダ。

神社ハ神社自体ではナク、その「場」自体が本来ヨイ、そこに人工的に建築した物・・・

それが変容してシマッテイル(−−)


いずれにしても、このような神仏の波動エネルギーは実用的とは言えない。

持っている「光」も万人には使えないし、

逆にヒトに対して弊害がある場合もあるように感じる。

どうミテも、宇宙エネルギーの「光」とは違う類いのモノ・・・・・

昔はそうだったのかも知れないが

現在進行形のエネルギーと考えたら、

とても「光」としての役割を果たしているとは思えない。

もし、神様というものの素晴らしい「光」が存在するのなら、

「神さま御不在」としか思えない・・・

これからの時代、ヒトのサポートエネルギーとしては

役に立たないに等しい

・・・だから「使わナイ」ではなく「使えナイ」。











わたしたち一人一人が自分の中にある光を目覚めさせていくための

輝くための手助けをしてくれる「光」こそが

今、これからの時代に必要な真の「光」・・・・・